2016年6月18日 (土)

選挙公約は守って!

 所属モデルを強引にアダルトビデオの撮影現場に派遣したとして,芸能プロダクションの社長らが労働者派遣法違反容疑で逮捕されたというニュースがありました。モデルと会社との契約書に「アダルトビデオへの出演を含む」といったことが目立たないように記載されていて,女性が撮影を拒否すると「違約金が発生する」などと言って強引に出演させたとか。

 こんな悪質なケースでも,契約書に書かれていたら断るのは難しいということです。ネットでダウンロードする時の同意書などの場合は,ろくに読まずにクリック(同意)してしまう人が多いと思いますが(面倒なので僕もほとんど読みません),雇用に関する契約書などは一字一句きちんと読み(「恋愛禁止」と書かれている可能性もあるかも),控えを所持しておくぐらいの慎重さが必要だと思いますよ。

 さて本題。政治家が選挙で当選した時に,雇用契約を結ぶ相手は国や地方公共団体になるのかと思いますが,その政治家の採用を決めたのは有権者。つまり,その政治家なり政党に投票した人が採用を認めたわけで,選挙公約に書かれた内容は有権者との契約事項であり,選挙公約というのは雇用契約に匹敵する重要文書です。

 したがって,当然のことながら,政治家が選挙公約を守るのは当然の義務であり,公約を守らないのは有権者への背任行為。ところが残念なことに,たとえ選挙公約を守らない政治家がいたとしても「違法ではないが不適切」という程度の桝添さん状態。ここはぜひ公職選挙法を改正して,公約を守らない議員は失職するなり刑事罰を受けるなりして欲しいぐらいです。

 たとえば,最近話題になった消費増税延期について。前回総選挙時の自民党のマニフェストには「2017年4月に消費税を10%に引き上げる」と明言しています。「リーマンショック級の・・・」のような条件も何も付いていません。したがって,これを守らないのは重大な公約違反となります。増税する場合の前提条件を付けるなり,「原則として」のような便利な文言を入れておけば問題になることはなかったのにと思います。この選挙公約の文面を考えた人は,ほんとドジです。

 それはともかく,「公約を守る」ということに関して重要なのは,「その政治家が当選した時点の選挙公約に従う」ということ。これは当然のことだとは思いますが,この当たり前のことを全然わかっていない政治家が多い。自分の個人的考えや党議拘束内容が選挙公約と異なる場合には,まずは有権者との契約である選挙公約(自分が当選した時の選挙公約)に従うのが大原則です。

 一例を上げると,昨年成立した安保法(集団的自衛権の容認)について。以前のブログでも書いたように,2014年総選挙時の与党のマニフェストに「閣議決定に基づいて安全保障法制を整備する」と書かれており,甚だ不親切で手抜きの記載であるものの,形式上は書かれており,2014年総選挙で当選した与党の衆議院議員はこの安保法に賛成してもぎりぎり「公約どおり」と言えるでしょう。

 一方,その閣議決定以前に当選した与党の参議院議員は,選挙時の公約には集団的自衛権の容認の話は無かったにもかかわらず,その後に突然出てきた本法案に賛成したわけで,与党の参議院議員は全員,公約違反を犯したと断定できます。本来なら,この安保法は,参議院選挙の公約に載せてから2回の参議院議員選挙を経て,最大で6年間かけて成立させるべき法律です。もちろん,参議院で否決してから衆議院の3分の2以上の賛成で再可決するなら,それはそれでOKですが。

 そもそも参議院は,衆議院のような解散がなく,3年ごとに半数ずつ改選することにより,政治を「緩やかに」変化させるものであり,それが二院制の本来の趣旨であるということを義務教育でも教わりました。参議院議員が「当選した時の選挙公約を逸脱しない行動を取る」というだけで,この「緩やかな変化」は容易に実現できるはずなのに,肝心の議員はこれを全然理解しておらず,その時点の党の方針に従っているだけで,その結果,参議院は衆議院のコピーとなってしまっているのが現実。「参議院不要論」が出るのを許しているは,参議院議員自身の問題なんです。

 さて,今夏の参議院選挙で,自民党は「改憲勢力3分の2の確保」を目指しているように報じられていますが,先日のブログにも書いたように,治安維持法の再来となる可能性がある「表現の自由への制限追加」や,ヒトラー政権時代の全権委任法と同様のことが可能となる「緊急事態条項の追加」など,自民党が2012年に策定した憲法改正草案は,とても恐ろしい改正案と認識しています。

 それでも,この改正草案をきちんと公約に載せてもらった上で,選挙の結果として最終的に改憲可能な国会勢力を確保したなら,それはそれで民意であり(現行の選挙制度や定数配分が憲法違反であることはさておき),堂々と憲法改正を発議してもらえばいいでしょう。

 で,この憲法改正に関して,自民党が過去の公約や今夏の参院選の公約にどのように記載してきたのか,確認してみましょう。

1.2010年(H22年)参議院議員選挙(今年の改選予定参議院議員の前回選挙)
 新憲法案の概要が記載されていますが,2012年の草案に比べるとおとなしい内容。天皇の元首化や緊急事態条項の記載などはありません。

2.2012年(H24年)衆議院議員選挙(2014年に解散済み)
 2012年の憲法改正草案に準拠して,その概要が記載されています。

3.2013年(H25年)参議院議員選挙(今年の非改選参議院議員)
 同様に,2012年の憲法改正草案に準拠して概要が記載されています。それにしても,「憲法を国民の手に取り戻します」のキャッチフレーズはまったく意味不明。今の憲法は誰の手に渡っていると言いたいの? 今の憲法が正規の手続きによるものでないと言いたいのなら,堂々と「今の憲法は無効」として大日本帝国憲法に戻すことを主張すればいい。

4.2014年(H26年)衆議院議員選挙(現職の衆議院議員)
 憲法改正を目指すことしか記載されておらず,内容については何も書いていません。2012年に自民党が策定した草案を参照もしていない。2012年の草案は引っ込めたようにも読めます。それにしても,話は変わるけど,TPPに関して選挙公約に何も書いていなかったのには驚き。

5.2016年(H28年)参議院議員選挙(今年の改選予定参議院議員)
 同様に,憲法改正を目指すことは書かれているものの,具体的な改正内容の記載はありません。

 要するに,憲法改正草案を策定した直後の2回の選挙ではその草案を公約に載せているものの,その後は具体的な記載を引っ込めており,これでは公約とは言えません。今年の参院選挙は改憲が争点の一つであるかのように言う人がいるけど,まったくのピント外れ。自民党は具体案を公約に載せていないのだから,まったく争点にはなっていません。

 つまり,2014年に選ばれた現在の衆議院議員は,選挙公約に憲法改正内容が何も記載されていなかったので,具体的な改正案を発議することは許されません。安倍総理自身でさえ,具体的な改正案を出したりそれに賛成したりするのは公約違反ということになります。また,今年の参議院選挙で当選する人も同じです。与党が「改憲勢力3分の2の確保」を目指すのは勝手だけど,あの草案を発議したり草案に賛成したりできるのは,それをきちんと公約に載せた上で当選した議員(=2013年当選の参議院議員)だけです。

 自民党は過半数の議席を持つ最大勢力与党であり,やりたいことがほぼ何でもできる立場ですが,議員個人の考えやその時点での党議拘束よりも,自分が当選した時点の選挙公約を事務的・機械的に忠実に守るように,ぜひお願いしたいものです。

 当選した議員が選挙公約に縛られるという点は,もちろん野党議員も同じ。多数政党でないと実現できない項目は多々あるとしても,公約どおりの法案提出や予算提出などを真面目にやっているのかは大いに疑問です。もっとも,民主党(民進党)の選挙公約なんか読む気もしないので,僕は一度も読んでいませんが。

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2016年5月16日 (月)

日本国憲法改正草案(後編)

 前回の続き(最終回)です。自民党が2012年に発表した「日本国憲法改正草案」の主な改正点と僕のコメントです。改正箇所(青文字部)は要点のみを記載し,条文は必要に応じて簡略化したり表現を置き換えたりして記載していますので,ご了承下さい。草案の詳細はこちら↓
https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf

第79条-第2項:最高裁判所の裁判官の国民審査規定を「法律の定めるところにより国民の審査を受ける」に簡略化。
→憲法としてはこれでもいいけど,現行の国民審査の「空白/× 方式」は,審査として正常に機能しておらず,はっきり言って憲法違反。この際なので,「裁判官ごとに信任・不信任・棄権を選べる方式とすること」のように明確に記載して欲しい!

第79条-第5項:最高裁判所の裁判官の報酬が在任中は減額できない規定に対し,「分限・懲戒・一般公務員の例の場合 を除く」を追加。
→裁判官だけ特別扱いする必要はないと思うので,賛成。

第80条-第1項:下級裁判所の裁判官の任期について,「10年」を「法律で定める任期」に変更。

第80条-第2項:下級裁判所の裁判官の報酬が在任中は減額できない規定に対し,「最高裁判所の裁判官の報酬規定を準用する」と変更。
→裁判官だけ特別扱いする必要はないと思うので,賛成。

第81条:「最高裁判所は一切の法律等が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する」(現行どおり)
→と言いながら,裁判所は法律等の違憲審査請求だけでは審査してくれず,具体的な被害を被った上で民事訴訟などを起こさない限り,違憲かどうかの判断はやってくれません。これはこれで裁判所の怠慢であり憲法不遵守だと思います。この際なので,「違憲訴訟があれば裁判所はその法律等の適合性を審査する義務がある」のように明確に憲法に規定して欲しい。

第83条-第2項:「財政の健全性は確保されなければならない」を追加。

第86条-第2項~第4項:「内閣は会計年度中に補正予算案を提出できる」「当該会計年度開始前に予算案の議決を得られる見込みがない時は,内閣は暫定予算案を提出しなければならない」「会計年度の予算は,国会の議決を経て翌年度以降も支出できる」を追加。

第89条:宗教活動への公金支出の禁止に関し,第20条-第3項にある「社会的儀礼又は習俗的行為」の場合は可能とするように変更。
→第20条-第3項のコメントと同じ。「社会的儀礼又は習俗的行為」の定義が曖昧であり,歯止めがなくなりそうでコワいです。

第89条-第2項:「公金は,国や地方公共団体などの監督が及ばない事業に支出できない」を追加。

第90条:国の収支決算について,「内閣は国会に提出」を「内閣は両議員に提出して承認を受ける」に変更。

第90条-第3項:「内閣は,会計検査報告の内容を予算に反映させて国会に報告」を追加。

第92条:「地方自治は,住民参加を基本とし,住民に身近な行政を総合的に実施する」および「住民は,地方自治体の役務を受ける権利と費用負担の義務を負う」を追加。

第93条:「地方自治体の種類は法律で定める」を追加。

第93条-第3項:「国と地方自治体は協力しなければならない」および「地方自治体は相互に協力しなければならない」を追加。

第94条-第2項:地方自治体の参政権対象者に「日本国籍を有する者」を追加。

第96条:「地方自治体の経費は自主的な財源を充てることを基本とする」「自主的な財源だけで不足の場合は,国は必要な財政上の措置を講じる」および「第83条-第2項(財政の健全性)は地方自治にも準用する」を追加。

第97条:地方自治特別法について,「特定の地方公共団体の組織・運営・権能について他の自治体と異なる定めをし,または特定の自治体の住民にのみ義務を課し権利を制限する特別法」と追記。

第98条:「緊急事態の宣言」について追加。要点は下記。
(1)内閣総理大臣は,外部からの武力攻撃・内乱等による社会秩序の混乱,大規模な自然災害,その他法律で定める緊急事態において,閣議にかけて緊急事態の宣言を発することができる。
(2)緊急事態の宣言は,事前または事後に国会の承認が必要。
(3)国会の不承認,国会による解除宣言の議決,および宣言が必要なくなった時に,閣議にかけて緊急事態の宣言を解除する。また,100日を超えて緊急事態宣言を継続する時は,100日を超えるごとに事前に国会の承認が必要。
(4)国会承認等に関して衆議院と参議院で異なった議決がされた場合や衆議院が議決して5日以内に参議院が議決しなかった時は,衆議院の議決が有効。

第99条:「緊急事態宣言の効果」について追加。要点は下記。
(1)内閣は法律と同一の効力を持つ政令が制定でき,財政上必要な支出や地方自治体へ必要な指示が可能。
(2)この政令と財政処分については,事後に国会の承認が必要。
(3)緊急事態宣言が発せられた場合,国民は国や公の機関の指示に従わなければならない。この場合でも,この憲法の基本的人権に関する規定は最大限に尊重されなければならない。
(4)緊急事態宣言が発せられている間は衆議院は解散されない。両議員の任期は特例を設けることができる。

→第98~99条の緊急事態条項は,かのヒトラー政権の「全権委任法」とまったく同様に,内閣による無制限立法が可能となり,これは「完全にアウト!」です。その気になれば,衆議院で過半数の議席を獲得した与党が何でもできてしまう。「3分の2」とかでなく過半数! しかも,衆議院が優先なので参議院での与党議席が半数以下でもできてしまう。
 たとえば,衆議院で過半数議席を獲得した与党で構成された内閣が,国内でテロとか大規模災害があった時に,内閣だけの判断で緊急事態を宣言できる。事前にせよ事後にせよ,与党は承認するでしょう(衆議院に優先権があるので参議院は否決でもいい)。100日を超えて継続する場合も同様。この宣言により法律と同じ効力を持つ政令が内閣単独でできるので,たとえば内閣の判断だけで法律が自由に制定できるような政令を作ってしまえば,それによって成立した法律自体は「法律」になってしまうため,緊急事態宣言が解除されたとしてもその規則は「法律」として有効。野党議員の議員資格剥奪なんかも簡単にできてしまいます。
 なお,憲法も当然法律の一つなので,緊急事態宣言時には憲法と同一の効力を持つ政令を出すことも可能なはず。第101条に「憲法に反する法律や政令は無効」とあるものの,緊急事態における「法律と同一の効力を持つ政令が制定可能」の方が優先すると解釈できます。これは,第99条にあえて「基本的人権に関する規定は最大限に尊重」と書かれていることからもわかります(憲法と同一効力の政令が不可なら,これを書く必要がないので)。なお,「基本的人権に関する規定は最大限に尊重」と書いてあるものの,あくまで「尊重」であり義務ではありません。
 そもそも,地下鉄サリン事件のような大規模テロや,阪神淡路大震災の時も東日本大震災の時も,既にある法律で十分対応できており,政府による緊急的立法行為が必要だったという話は聞かないし,この条文の必要性が理解できません。緊急時に法律の制約でできなくて困ることがあるなら,それを事前に洗い出して法律に反映させておけばいいだけ。想像力が欠如しているためその洗い出しができないということなのでしょうか。
 ということで,この第98~99条は,与党の過半数議席獲得だけで与党の意のままに何でもできてしまう,とんでもない条文と言えます。野党はこんな不条理な条文には賛成できないでしょう。同様に,今の与党が野党になったら,こんな条文は許せないと感じるはず。この条文は,自分自身が野党になった時のことを想定できない「想像力欠如」であると感じます。
 さらに,第99条にある「緊急事態宣言が発せられた場合,国民は国や公の機関の指示に従わなければならない」という記載も強烈。緊急事態かどうかにかかわらず,国民が法律や政令に従わなければならないのは法的には当然であり,それはあえて憲法に記載する必要がありません。あえてここに記載しているのは「法律や政令になくても国や公の機関の指示には従わなければならない」という意味です。恐ろしすぎます。

第100条:憲法改正手続きについて,「各議員の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議し,国民投票で過半数の賛成が必要」を「各議院の総議員の過半数の賛成で国会が議決し,国民投票で有効投票の過半数の賛成が必要」に変更。
→そもそも,憲法に限らず,法律が頻繁に変わることによる不合理さというのがありますね。たとえば,選挙で国会勢力が変わるたびに,死刑制度が廃止されたり復活したりと繰り返されても困る・・・みたいな。その意味で,法律というのはある程度「変更しにくく」しておくことも理にかなっていると思います。で,通常の法律が「出席議員の過半数で成立」に対して,憲法については「各議院の総議員の過半数の賛成で国会が議決」,さらに国民投票を行うことによって「変更しにくく」なっており,僕としてはこの草案の条文でもいいのかなと思います。

現行の第97条:「基本的人権は・・・侵すことのできない永久の権利として信託」を削除

第102条:「天皇・大臣・国会議員・裁判官・その他公務員は,この憲法を尊重し擁護する義務を負う」を「すべて国民はこの憲法を尊重。大臣・国会議員・裁判官・その他公務員はこの憲法を擁護」に変更。
→「尊重する人」と「擁護する人」を使い分けているようですが,そもそも「尊重」も「擁護」も具体的に何を意味しているのか,よくわかりません。


 では,最後に,僕が特に気になった変更点をまとめると下記です。

(1)第9条の2-第3項の,集団的自衛権を違憲状態から合憲にするための憲法改正については,集団的自衛権が本当に必要なら改正すべきとは思いますが,結局集団的自衛権の必要性が全然明確になっていない。昨年政府が説明していた適用例は個別的自衛権で対応できるものばかりだったと記憶しており,集団的自衛権を合法化して何をどこまでやろうとしているのかはっきりせず,心配です。

(2)第21条第2項の「表現の自由」への制限の追加は,はっきり言って怖い。治安維持法の再来となる可能性があります。

(3)第24条の「家族は助け合わなければならない」という価値観の押しつけは勘弁して欲しい。

(4)第98~99条の緊急事態条項の追加は,ヒトラー政権時代の全権委任法と同じ道に進む危険性があり,絶対にダメ!

 ということで,この草案が自民党内の一部の人が「お遊び」で作った程度のものなら全然気にしませんが,正式に自民党の選挙公約に上がるのであれば,選挙で自民党に投票する勇気は僕にはありません。


関連ブログ:
 日本国憲法改正草案(前編)(2016年5月14日)
 日本国憲法改正草案(中編)(2016年5月15日)

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2016年5月15日 (日)

日本国憲法改正草案(中編)

 前回の続きです。自民党が2012年に発表した「日本国憲法改正草案」の主な改正点と僕のコメントです。改正箇所(青文字部)は要点のみを記載し,条文は必要に応じて簡略化したり表現を置き換えたりして記載していますので,ご了承下さい。草案の詳細はこちら↓
https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf

第12条:憲法が保障する自由と権利について,「公共の福祉のために利用する責任を負う」を「公益及び公の秩序に反してはならない」に変更。

第14条:「法の下の平等」に「障害の有無によって差別されない」を追加。

第15条-第3項:参政権対象者に「日本国籍を有する者」を追加。

第18条:「奴隷的拘束を受けない」「その意に反する苦役に服させられない」等の表現を「社会的又は経済的関係において身体を拘束されない」に変更。

第19条の2:「個人情報の不当取得の禁止」を追加。

第20条-第3項:国や地方公共団体の宗教教育や宗教的活動の禁止に関して,「ただし,社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては,この限りでない」を追加。
→「社会的儀礼又は習俗的行為」というのは,何をどこまで想定しているんでしょうか。閣僚や国会議員が「みんなで靖国神社に参拝」した時の玉串料を公費で負担できるようにでもしたいんでしょうか。改正案の意図はわからないけど,歯止めがなくなりそうで,ちょっと危険な感じがします。

第21条-第2項:「表現の自由」に「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動や結社は認められない」を追記。
→前述の第12条の場合は「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に書き換えただけですが,この条文の場合は,「表現の自由」に対して「公益及び公の秩序を守る」を追加するもの。「この条文に敏感に反応し,拡大解釈を恐れて猛反発するのは一部勢力の人のみじゃん!」って考える人は,かの治安維持法をぜひ思い出して欲しいです。
 治安維持法は,条文を見る限り共産主義革命運動を取り締まるための法律であったことは明白。にもかかわらず,この法律は拡大解釈されて,宗教活動・右翼思想・自由主義運動など,政府批判となる活動はすべて弾圧の対象となっていったという暗い歴史があります。この草案の「公益及び公の秩序を害する」という表現は,治安維持法にあった「国体の変革または私有財産制度の否認」よりも遙かに広い範囲を指しており,治安維持法よりもさらに広い範囲の言論統制につながる可能性があるということであり,この草案は非常に危険と感じます。
【参考】治安維持法における処罰対象者(要点)
 国体の変革または私有財産制度の否認を目的として結社を組織した者(未遂を含む),これに加入した者,これの実行に関して協議した者,これの実行を煽動した者,これが目的で騒乱・暴行その他生命・身体または財産に害を加えるための犯罪を煽動した者,これが目的で金品その他の財産上の利益を供与またはその申込みもしくは約束をした者。

第21条の2:「国政上の行為に関する国の国民への説明義務」を追加。

第24条:「家族は,社会の基礎的な単位として尊重される。家族は,互いに助け合わなければならない」を追記。
→前半の「・・・尊重される」はいいとしても,後半の「家族は互いに助け合わなければならない」は,道徳的価値観の話であり,まったく余計なお世話。憲法に書くようなことではなく,古い価値観の押しつけであり,キモいです。親子や夫婦で喧嘩したら,憲法違反なんですか? たとえば家族のDVに苦しめられている人は,相手が家族であっても助け合う必要はありませんよ。

第24条第2項:「婚姻は両性の合意に基づいて成立」(現行どおり)
→この項は現行の憲法から変更はありませんが,あえてコメントします。
 婚姻については「両性の」と憲法に明確に記載されていたんですね。うっかりしていました。つまり,同性婚は現行の憲法で認められていないと解釈できます。この条文の「両性の合意」は「両者の合意」のようにぜひ改めて欲しい。たったそれだけでも,この草案の株は上がったと思うのに,残念です。まあ,選択的夫婦別姓や選択的同性婚すら認めようとしない政治家に,これを期待しても無理なんでしょう。

第25条の2:「国による環境保全の責務」を追加。

第25条の3:「国による在外国民の保護」を追加。

第25条の4:「国は犯罪被害者及びその家族の人権及び処遇に配慮」を追加。
→国が犯罪被害者の人権や処遇に配慮するのはいいとして,なぜ犯罪被害者だけを特別に憲法に記載する必要があるのか理解できません。それを言ったら,事故の被害者とか,えん罪の受刑者(=被害者)とか,キリがないのでは?

第26条-第3項:「国は教育環境の整備に努めなければならない」を追加。

第28条-第2項:勤労者の団結権・団体交渉権に関して,「公務員については権利の一部又は全部を制限可能。この場合は公務員の勤労条件の改善に必要な措置を講じる」を追加。
→「公務員は通常の労働者とは別扱い」という以前に,現在は,民間会社での団結権・団体交渉権などは実質的にほとんど機能していないように見えるし,さらに非正規労働者にはそんな権利は存在していないのが現実。コメントしようがありません。

第29条-第2項:財産権について,「公共の福祉に適合するように」を「公益及び公の秩序に適合するように」に変更。また,知的財産権について追加。

第44条:議員と選挙人の資格について,「障害の有無で差別してはならない」を追加。

第47条:議員の選挙について,「各選挙区は人口を基本とし,行政区画・地勢等を総合的に勘案して定める」を追加。
→この条文は,「各選挙区の定数配分は人口比が原則だが,行政区画や地勢等の制約によって,必ずしも人口比にならなくてもいい」と解釈でき,国政選挙のたびに議員定数に関する違憲判決が出ているという問題を回避するための条文であり,許せません。
 僕としては,「議員一人あたりの有権者数が最大の選挙区の0.9倍未満の選挙区については,その議員の当選を無効にする」ぐらいの条文を追加して欲しい(有権者数の多い選挙区でなく少ない選挙区を無効にするというところがミソ)。また,「定数配分は有権者数によって自動的に配分する計算方式を導入する」とか,「議員自身が自分の選挙制度や定数配分を決めてはならない」なども追加して欲しい。とにかく,今の選挙制度や定数配分は腐りきっています。

第52条-第2項:「通常国会の会期は法律で定める」を追加。

第53条:いずれかの議院の4分の1以上の議員の要求があった時に開催する臨時国会について,「要求から20日以内に召集」を追加。
→それよりも,現行の憲法で,臨時国会を召集するのがなぜ内閣でなければならないのか,イマイチ理解できません。第6条で「国会の召集は内閣の進言によって天皇が召集」となっており,その関係のようですが,三権分立なんだから,臨時国会は国会だけの判断で開催すればいいのにと思います。
 ところで,余談ですが,国会は「招集」でなく「召集」なんですね。「召集」は,兵役の召集と国会議員の召集にだけ使用し,それ以外で人を集める時は「招集」となるらしい。

第54条:「衆議院の解散は内閣総理大臣が決定する」を追加。
→何を今さら・・・と思って,現行の憲法をよく読んでみたら,なんと,内閣が衆議院の解散を決めることは,国会の項にも内閣の項にも書かれておらず,第7条の「天皇の国事行為」のところにのみ書かれており,この条文にある国事行為は「内閣の助言と承認によって天皇が実施」とあり,したがって,「衆議院の解散は内閣が行う」ということだったんですね。

第56条:「両議員は,各々その総議員の3分の1以上の出席がなければ,議事を開き議決することができない」を「両議員は,各々その総議員の3分の1以上の出席がなければ,議決することができない」に変更。
→要するに,「議決については現行どおり3分の1以上の出席が必要だが,議事を開くには出席議員数の制限はない」と読み取れます。変更の意図はわかりませんが,本当にそんなんでいいの?

第63条-第2項:大臣の国会への出席義務について,「職務の遂行上特に必要がある場合は不要」を追加。

第64条の2:「政党」に関する事項を追加。

第65条:「行政権は内閣に属する」に「この憲法に特別の定めのある場合を除き」を追加。

第65条-第2項:「大臣は文民でなければならない」を「大臣は現役の軍人であってはならない」に変更。
→現行憲法の「文民」の定義に諸説あり,「かつての軍人以外に自衛隊員も含むのか?」「退役した軍人は文民?」などがはっきりしていないため,それを明確化したものと解釈します。たとえば,2014年の都知事選に立候補して落選し,最近何かとお騒がせの,あの元軍人候補が大臣になりうるのかどうか ということ。それにしても,あの人が61万票も獲得って,東京の有権者 コワすぎ!
 それはともかく,「軍人」ということばがこの条文にだけ出てきますが,軍人というのは「国防軍に所属する職員全員」ということ? きちんと定義しておかないと結局またもめるのでは?

第70条-第2項:「内閣総理大臣が欠けた時,あらかじめ指定した国務大臣が臨時にその職務を行う」を追加。

第72条:内閣総理大臣の職務に「行政各部を指揮監督し総合調整を行う」と「最高指揮官として国防軍を統括する」を追加。
→「行政各部を指揮監督」に加えて,さらに「最高指揮官として国防軍を統括」を書いているということは,国防軍というのは「行政各部」に所属しない別組織ということなんでしょうか。よくわかりません。

第73条:内閣の職務に「法律案を作成」を追加。また,「政令には罰則を設けることができない」を「政令は,義務を課したり権利を制限したりはできない」に変更。
→第72条にも「内閣は議案を国会に提出し」とあり,内閣が法律案を作成するのは一向に構いませんが,法律を作るのはあくまで国会議員の仕事ですので,国会議員さん,お忘れないように!

 今回はここまで。次回で最終です。次回のメインは緊急事態条項など。

関連ブログ:
 日本国憲法改正草案(前編)(2016年5月14日)

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2016年5月14日 (土)

日本国憲法改正草案(前編)

 自民党が2012年に発表した「日本国憲法改正草案」。これまで,僕はこんな草案はまったく気にとめていませんでしたが,この夏の参院選の争点になるかもという噂があり,ちょっとだけ真剣に読んでみたので,主な改正点と気になった点などをコメントしておきたいと思います。ただし,僕の憲法に関する知識は,義務教育プラス理系大学の教養課程程度で,法律の専門家でもないし法律を専門的に学んだわけでもありません。あくまで一素人の感想ということでご了承下さい。

 なお,改正箇所(青文字部)は要点のみを記載し,条文は必要に応じて簡略化したり表現を置き換えたりして記載しています。草案の詳細はこちら↓
https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf
 現行の日本国憲法との相違点がわかるように対照表の形式になっています。

前文:全面改定

第1条:天皇を「象徴」から「元首」に変更。
→ん? 明治憲法に逆戻り? とも思いましたが,そもそも現在の日本の「元首」って誰?・・・調べたところ,「天皇」「内閣総理大臣」「いない」など,いろんな説があるようで,対外的な実質的「元首」としての職務は,ケースに応じて天皇が行ったり内閣総理大臣が行ったりしているそうです。新たに「元首」を定義する必要があるのかはよくわかりません。ただ,実質的に政治的権能を有しない天皇を「元首」と呼ぶのにはちょっと違和感を覚えます。

第3条:「国旗は日章旗とし,国歌は君が代とする。日本国民は,国旗及び国歌を尊重しなければならない」を追加。
→う~~ん,そうですか。憲法に入れたいですか。
 国旗と国歌に関しては「国旗及び国歌に関する法律」に規定されており,この法律の「別記」に,国旗の具体的デザインや国歌の楽譜が掲載されています。具体的なデザインや楽譜を憲法に記載せず,単に「日章旗」「君が代」と書くだけで一意性が保てるのか,ちょっと疑問。憲法としては「国旗・国歌は法律で定める」程度でいいんではないでしょうか。
 ちなみに,「国旗及び国歌に関する法律」には国旗のサイズ(縦横比率や日章部分の割合など)が厳密に定義されているので,これなら一意性が確保できています。ただ,日章部の色が「紅色」としか書かれておらず,これでは不確定。エンジニア的には,マンセル記号や24ビットRGBコードなどで定量的に表現して欲しいものです。
 あと,草案の第2項に「日本国民は,国旗及び国歌を尊重しなければならない」と書かれていますが,こう書いて国民に強制しないと国旗や国歌が尊重されないというのは悲しいこと。ちなみに僕は,日本だけでなく,どの国のものでも(アメリカでも中国でも北朝鮮でも),国旗や国歌はその国のシンボルであり「尊重」していますよ。それが大人としてのマナーなので。

第4条:「元号は皇位の継承があったときに制定する」を追加。
→う~~ん,やっぱりこれも憲法に入れたいですか。
 ちなみに,元号の制定を憲法に入れるかどうかとは別の話として,どう考えても西暦の使用を止めるわけにはいかないのが現実であり,日本でしか通用しない年号を西暦とは別に設けることの合理的理由が僕には理解できません。また,「ある日突然」年号が変わるのは,日常生活面でもシステム的にも非常に不便。ということで,僕は個人的には原則として西暦を使用するようにしています。僕が長年勤めていた会社でも,社内ではすべて西暦で統一していました。それでも,対外的(特に役所相手など)には元号記載がスタンダードで元号の使用を強制されており,結局は「元号は使いたい人だけ使えばいい」とはなっていないのが現実。ほんと不便です。

第5条~第7条:天皇の国事行為について,「内閣の助言と承認を必要とし,内閣が責任を負う」とあるのを「内閣の進言を必要とし,内閣が責任を負う」に変更。また,「国や公共団体などが主催する式典への出席や公的な行為を行う」を追加。
→「助言」が「進言」に変わっています。「助言」というのは「上の者が下の者に教える」という意味合いがあるため,天皇に対しては「進言」の方が適切ということなのでしょう。「内閣の承認が必要」が削除されているものの,「天皇のすべての国事行為には内閣の進言が必要」とあり,天皇が独断で主体的に国事行為を行うことはできないという点で,現行憲法と同等なのかと解釈します。
 なお,天皇の国事行為について,この際なので,形式上のものは内閣や国会が直接行うようにして,天皇が行う国事行為は儀式などに限定してもいいんではないでしょうか。

第9条:「戦争を放棄し,国際紛争を解決する手段としての武力行使を永久に放棄」を「戦争を放棄し,国際紛争を解決する手段としては武力行使を用いない」に変更。
→「武力行使を永久に放棄」を「武力行使を用いない」に変更。この変更をめっちゃ気にする人もいそうですが,戦争を放棄することに変わりはないので,僕はあまりこだわりません。ただ,「武力行使を永久に放棄」→「武力行使を用いない」→「武力行使を用いる」のように,段階的に武力行使を合法化しようとしているようにも見え,ちょっと気になるところ。

第9条-第2項:「前項の目的を達するため戦力は保持しない。国の交戦権は認めない」を「前項の規定は自衛権の発動を妨げるものではない」に変更。
→違憲という意見がある(笑) 自衛隊を合法化するための条文変更ですね。ちなみに,現在の自衛隊は,明らかに自国防衛の域を超える「軍隊」であり,現行の憲法に照らせば違憲であることは間違いありません。どこをどう解釈すれば自衛隊が合憲で集団的自衛権の行使まで可能になってしまうのか,僕には理解できません。
 こういうことを言うと「自衛隊を違憲といいながら自衛隊の災害救助の世話になるのはけしからん!」みたいなアホなことを言う人がいますが,災害救助や必要最小限の防衛に関して違憲と言っているわけではなく,災害救助や防衛には不要な過剰装備等について違憲と言っているだけですので,念のため。
 いずれにしても,改正案に自衛権を明記することには反対しませんが,「戦争は放棄」と明言している限り,自衛を超える軍備については認めないということをきちんと明記した方がいい。そうでないと,拡大解釈の連続で際限なく軍備が拡張されるのは目に見えています。

第9条の2:「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍の保持」を追加。

第9条の2-第2項:「国防軍は国会の承認他の統制に服する」を追加

第9条の2-第3項:「国防軍は第9条第1項の活動の他,国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調する活動,および国民の生命・自由を守るための活動を行うことができる」を追加。
→国の平和や国民の安全を確保する目的以外に「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調する活動」も行えるとしている。たとえばアメリカが戦争していて,その戦争が「国際社会の平和と安全を確保するため」と判断すれば(誰が?),国防軍は世界中のどこででも活動ができるということ。昨年法制化された集団的自衛権が違憲だったのを合憲化しようということなんですね。順序が逆だろ!って思いますが。

第9条の2-第4項:「国防軍の組織等については法律で定める」を追加。

第9条の2-第5項:「国防軍に属する軍人や公務員がその職務や機密に関する裁判を行うために,国防軍に審判所を置く」を追加。
→裁判所とは別の司法組織を国防軍の中に設けるということで,いわゆる軍法会議(軍事裁判所)のことでしょう。「戦争は放棄する」「武力行使は用いない」といいながら,軍法会議を設けることの必要性がイマイチ理解できません。

第9条の3:「国は領土・了解・領空を保全し,資源を確保しなければならない」を追加。

 長くなったので,今回はここまで。

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2015年12月16日 (水)

腹立たしい判決

 今日の最高裁判決は,ほんと腹立たしいです。ま,最高裁判事というのは内閣が任命するわけだし,ある程度予想できた結果ですが。

 まず,夫婦別姓を認めない民法の規定を合憲とした判決。夫婦別姓を望んでいる人は,別姓を強制すべきと言っているわけではなく,単に別姓を選択可能にして欲しいと主張しているだけ。なんでたったこれだけのことが認められないのか,まったく理解できません。

 判決では「民法の規定は夫婦がいずれの姓にするかを当事者間の協議に委ねている。規定自体に男女の不平等が存在するわけではない」と言っているらしいが,いずれか一方の姓に変更すると,両者の間に精神的・実務的・経済的な不平等が発生するのは歴然とした事実。なんでこれが理解できないんでしょう。

 テレビの街頭インタビューなどで「夫婦はやっぱり同姓の方がいいよねー」みたいな意見をメディアが無神経に流しているのにもムカつきます。一家庭の事情を聞くのではなく,別姓を選択可能とすることに対する意見をきちんと聞いて欲しい。選択制を導入して結果的に大半が同姓を選択することになったとしても,それはそれでいいわけで。

 ちなみに,戸籍という制度自体が不要と考える僕としては,同じ家族を同じ姓にすることに合理的な理由はないと考えています。名前が自由に付けられるように,姓も自由に選べるようにすればいいと思う。「佐藤××さん」と「鈴木××さん」が結婚して,その子供の名前が「山田××さん」でも構わない。

 いずれにしても,今回の判決は選択的夫婦別姓の導入を妨げるものではないので,早く導入して欲しいものです。これに反対している国会議員は,まず自分自身の姓を変えてみて,自分の姓が変わることがいかに苦痛で不合理で不便であるかを,身をもって体験して欲しい。

 もう一つの,女性が離婚後6ヶ月再婚できない規定について。100日を超える部分は違憲との判決。メディアは「違憲判決!」と騒いでいるようですが,「100日間禁止するのは合憲」という判決であり,まったく時代遅れの判決と言えます。

 そもそもこの規定は,親子関係の紛争を防ぐためとのことらしいですが,これって「離婚前の女性は結婚中の夫以外の相手とはエッチしない」「離婚してから再婚するまでの女性は誰ともエッチしない」「再婚後の女性は再婚後の夫以外の相手とはエッチしない」という大前提に立っているわけで,超笑えます。こんな民法の規定があろうとなかろうと,どのタイミングで誰を相手に妊娠したか次第で紛争の可能性はあるわけで,この規定自体には全然意味がないでしょう。

 今回の判決にはなかったけど,同性婚の問題も同様。個人の自由な考え方を法律で縛るのはそろそろ止めにした方がいいでしょう。もっとも,戸籍制度をなくせば,戸籍への性別の記載もなくなるわけで,同性婚も異性婚も区別つかなくなるのかも。

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2015年9月19日 (土)

悪法もまた法なり

 「悪法もまた法なり」・・・たとえ悪い法律であっても,法律として効力を持っている以上は守らなければならない という意味と理解しています。ソクラテスが言ったとか。

 悪法の成立によって世の中の終わりが来たかのようにメディアは大騒ぎをしていますが,一内閣の判断であっさり成立した法律であり,気に入らなければまた戻せばいいだけ。戻したいと考えている人は,戻すことを公約に掲げる政党が多数の議席を占めるように,次の選挙で投票すればいいだけです。

 憲法に違反する法律というのは悪法以下の法律だとは思いますが,集団的自衛権の行使に関しては,約1年前の閣議決定と,それを昨年12月の総選挙で公約に掲げた与党が圧勝したことから,民意に基づくものと言えます。「悪法もまた民意なり」ってことです。ただ,昨年12月の総選挙で当選した衆議院議員はともかく,今の参議院議員は全員,この閣議決定が出される以前に選ばれた人たち。この人たちの中で,この違憲法案に反対する与党議員が一人もいなかったというのは,正直ちょっとキモイと感じます。

 この法律は,日本を守るためというよりも米国のための法律であることは明白ですが(あくまで個人の意見です),まあ当面は米国の戦争に巻き込まれることはないでしょう。ただ,あの戦争大好きの米国です。この先何があるかわかりません。特に,次期大統領が誰になるかは不明ですが,大統領が替わった後はちょっと心配かも。

 この法律の成立によって,これから色んな訴訟が引き起こされることでしょう。政府はこの訴訟の嵐に耐えられるのか,注目したいところです。もっとも不幸なケースは,日本が米国の戦争に巻き込まれて自衛隊が戦闘行為を起こした結果,上官命令に従っただけの自衛隊員が殺人罪・傷害致死罪・器物損壊などで告発される可能性があるということでしょうか。何しろ違憲の法律に基づく行為なので,国内法に違反する行為に関しての訴訟は「何でもあり」でしょう。

 そうなる前に(できればアメリカ大統領が交替する前に),この法律は早く元に戻しておいた方がいいと思いますよ。

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2015年9月 2日 (水)

メディア頼み

 なにかとお騒がせ中の大阪市の橋下市長。かつて「立候補することは2万パーセントない!」って断言しながら大阪府知事に立候補するなど,僕はこの人の言動をあんまり信用していないんですが,時々ハッキリと良いことを言うなと感じることがあります。たとえば最近では,安全保障関連法案の反対集会に関して「国民の政治活動として尊重されるのは当然」とした上で,8月30日の国会周辺での大規模デモに触れて「たったあれだけの人数で国家の意思が決定されるなんて民主主義の否定だ」と発言したとか。

 安保法制に関しては,法案反対のデモだけでなく,僕はキモイと感じる法案賛成のデモも行われています。また,明らかにネットウヨクの呼びかけで集まったと思えるヘイトスピーチのデモなんかも行われています。デモをやること自体は意思表示として自由ですが,「デモによって国家の意思決定が左右されるべきでない」という橋下氏の発言にはまったく同感で,各有権者の意思は,まずは選挙の際の投票行動でもって示すべきです。

 しかも,国会周辺で大規模デモが行われた8月30日は日曜日であり国会はお休み。議事堂内には大半の国会議員はいなかったので議員にはその声は届きません。もっとも,国会議員が議事堂の中にいたとしても,デモの叫び声が直接議員に聞こえるわけではありません。

 結局は,これだけの大規模なデモが起こったという事実が,報道を通して関係者の目や耳に入り,それによって何かが動くことを期待しているということなんです。個々のデモ参加者がメディアをどこまで意識して行動いていたかはともかく,結果的にはそういうことになります。メディアが報道してくれなかったら,結局はデモがあったこと自体,一般国民も国会議員も知ることはできません。

 似たような話として,国会議員の委員会質問があり,国会議員がどこまで本気で質問をしたいのか疑問に思うことがあります。テレビの国会中継を意識してか,テレビカメラに向けて説明パネルを立てて質問をせずに延々と自説を述べる議員は,メディアを経由して自分をPRしたいのかと疑いたくなります。以前安倍総理が質問者に対して「質問しろよ!」みたいな野次を飛ばしたことが問題になりましたが,この時の安倍総理の気持ちはよくわかります。

 あと,テレビでも報道されましたが,安保法案が衆議院の委員会で採決された時のシーン↓

2
(日経新聞Webより転載)

 反対する委員が「強行採決反対!」の紙を,委員長に向けてではなく明らかにテレビカメラや記者に向けて示しています。これには笑ってしまいました。これも,明らかにメディアを意識した行動ということでしょう。しかも,反対議員は賛成議員と同様に起立しているので,賛成しているみたいになっているのにも笑えます。

 このように,政治的な何かを主張する時は,結局は「メディア頼み」にならざるを得ないというのが悲しい現実なんです。戦時中のメディアが政府・軍隊の意思伝達期間であったことからもわかるように,歴史を動かすのも動かさないのもメディアの力が大きいというわけです。古代や中世の歴史はそれなりに緩やかに変化してきたわけですが,メディアが発達した現代では,ちょっとしたことから歴史はスピーディーに動くと言えるでしょう。

 このため,権力者は自分たちの意思を的確に民衆に伝えて欲しいとメディアに望むわけで,結果として,意思に沿わないメディアに対して「懲らしめたい」発言が飛び出すのも,その気持ちは痛いほどわかります。かつての総理大臣 佐藤栄作氏が引退する際,メディアを通して自分の意思が伝わらない歯がゆさに業を煮やし,記者会見で「新聞は信用できない」と発言して新聞記者を閉め出し,テレビによる実況中継だけで独演による辞任会見をしたシーンは,子供のころのリアルタイムの記憶として残っています。

 世の中のあらゆる事実はメディアを通してしか知ることができないのが悲しい現実。しかも,ネットにせよテレビにせよ新聞や週刊誌にせよ,どんな媒体でもそれなりのフィルターがかかった上で国民に知らされるのも現実。ということで,とにかく,メディアに対しては,つまらない世論調査や社説なんかは要らないので,極力純粋に事実だけを正確に伝えて欲しいと,切に願ってやみません。

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2015年8月30日 (日)

どっちもどっち

 東京五輪公式エンブレムのデザイン問題について。問題となっているベルギーの劇場のロゴ(左)と並べてみると,下の写真のとおりです。(日経新聞webより転載)

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 たしかに,似ていると言えば似ているけど,色合いは全然違うし,左上の部分と右下の部分の中心部分とのくっつき具合も違うし,似ていないとも言えます。シンプルなロゴなので,この程度の偶然の一致はありそうな気がします。ベルギーの劇場はそれほど目くじら立てるほどのことでもないというのが僕の感想です。

 ところが,原案選定後に組織委が商標登録の調査をしたら類似する商標が海外で見つかったため,デザインを修正するようデザイナーに依頼し,修正を重ねた上で現在のエンブレムに至ったということが説明されていました。下の写真の左から「原案」「修正案」「最終案」とのこと。(日経新聞webより転載)

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 僕がおかしいなと感じたのは,原案選定後に組織委が調査して変えさせたという点。似ている物があったのならその時点でそのデザインは却下して別の物を採用すればいいだけなのでは? なんとなく選考過程が不透明で怪しげな臭いがぷんぷんします。

 それに,わざわざこんな説明しなくても,元々デザイナーの佐野氏が盗作したことを疑われていたわけではないし,提訴しているベルギー劇場も盗作云々でなく似ていることを問題視しているわけで,盗作でないことをくどくどと説明している組織委やデザイナーの佐野氏は,何となく外しているなと感じました。この理屈に従えば,仮にデザインが完全に一致していても盗作でなく偶然の一致であれば問題ないということになり,それは違うだろうって思います。

 たとえ盗作でなくても結果的に似ていたら取り下げるのがマナーだし,似ていないのであれば似ていないということを,自信を持ってきちんと説明をすればいいだけだと思いますよ。

 ただ,もし取り下げて別のデザインに変更したとしても,世界的に注目を浴びてしまったため,このようなシンプルなデザインだと,結局また世界中のどかかの何かのロゴと似ているという指摘は避けられないような気がします。

 そもそも,五輪のエンブレムっていったい何のために必要なんでしょう。ロゴ使用料などの色んな利権が絡んでいるんでしょうか。この際なので,各大会固有のエンブレムなんてやめて,五輪マークだけにしてしまえばすっきりするのにと思います。

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2015年8月28日 (金)

戦争には行きたくない!

 今さら言うまでもないことですが,戦争というのは,対戦国の領土を破壊したり対戦国の人を殺したりすることです。平和な社会生活にあっては,人が一人殺されただけで連日テレビで大騒ぎなのに,そんな殺人や破壊活動が合法的に普通にできてしまうのって,やはりどう考えてもおかしいでしょう。

 殺人・傷害・器物破損のような刑事上の問題だけでなく,民事上の問題にしても,戦争が起こるとすべてが吹っ飛んでしまいます。戦争で死んでも生命保険は支払われないし,殺したり破壊したりした側が民事上の損害賠償責任を追うこともありません。被害者に対して自国の政府が補償することも基本的にありません。かの原爆被害者に対しては国家補償があるらしいですが,これは例外中の例外であり,通常の戦争被害者(当時はほぼすべての国民が何らかの戦争被害を被っていたはず)に対しては,ほとんど何も補償されていません。

 このように,戦争というのは法治国家の根本を否定する行為であり,憲法9条がどうのこうのという以前に,通常の法治国家の国内法と矛盾する行為と言えます。今世界には戦争をしている国や戦争が可能な国が多数ありますが,こういった国では,国内法と戦争行為との整合性がいったいどうなっているのか,ちょっと気になります。

 ていうか,かつての戦時中の日本でさえ,殺人も傷害も窃盗も銃刀所持も法律で禁止されていたはず。なのに,なんで戦争という行為が可能だったのか,不思議な気がします。はっきりした戦闘行為ならともかく,戦地で誤射して仲間を射殺してしまったとか,爆撃によって自国民に被害が及んだとか,法的に微妙なケースがいくらでもあります。戦争が可能な国は,このあたりの刑事上・民事上の責任問題をどのようにしてクリアしているのか知りたいものです。

 いずれにしても,戦争というのは法治国家としては絶対に許されない行為であり,戦争が起こることを避けるのは,政治家がやるべき最重要課題でしょう。何しろ,戦争を始める判断は政治家にしかできません。一般国民がいくら叫んでもデモをやっても戦争は始まりません。その意味で,政治家こそがしっかりして欲しいものです。「戦争に行きたくないんだろう」みたいな薄っぺらな発言をする政治家は,戦争という行為によって生じる問題がそんな単純なものじゃないという本質をわかっていないなと感じ,非常に心配です。

 ・・・なんてことは僕が言うまでもなく,世界中のほとんどの政治家は戦争なんてやるべきでないということは認識しているはず。なのに,なんで戦争は起こってしまうのでしょう。

 やはり,これは人間のプライド維持と闘争本能によるものでしょう。酔っぱらいの喧嘩や学校での子供の喧嘩や兄弟喧嘩や夫婦喧嘩(我が家はありませんが)のような個人どうしの喧嘩はしょっちゅうあるし,世の中には離婚調停も頻繁にあるし,職場での言い争いや政党の内紛なども日常茶飯事です。端から見たらばかばかしいと思える喧嘩も当事者にとっては真剣で,やりたくなくても必然的にそうなってしまうというケースが多々あることでしょう。

 これが国家レベルになったら戦争になってしまうわけで,現に世界中のあちこちで戦争は起こっています。先日,韓国と北朝鮮の間に不穏な空気が流れていましたが,この両国はもともと戦争中であり,今は単に休戦中になっているだけです。

 このように,戦争は普通に起こりうるわけで,70年間も戦争を経験していない日本のような国は珍しいのではないでしょうか。したがって,全世界的な歴史の流れで見れば,70年間も戦争をしていない日本はいつ戦争を始めてもおかしくない国であると言えます。なぜこの日本が70年間も戦争のない平和な国であり続けられたのかを良く考え,平和のありがたみを噛みしめておきたいものです。

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2015年8月15日 (土)

戦後70年談話

 戦後70年の安倍首相談話が出されました。過去の内閣の談話を否定する過激な内容になるかと思っていたら,意外におとなしい内容だったという印象。「安全保障関連法案が成立するまではおとなしくしていなさい」というのが自民党の方針らしいので,もし安保法案が成立していたら,内容はかなり違ったものになったでしょう。

 今回の談話で問題とされているのは,下記箇所と認識しています。

 「我が国は,先の大戦における行いについて,繰り返し,痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきました」
   ・・・
 「日本では,戦後生まれの世代が,今や,人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない,私たちの子や孫,そしてその先の世代の子どもたちに,謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」

 「おわび」については,たしかに,これまでのことを言っているだけで安倍総理自身がおわびするとは言っていません。また,「あの戦争には何ら関わりのない,私たちの子や孫,そしてその先の世代の子どもたちには謝罪させたくない」と言い,自分が謝罪するのか謝罪したくないのかについては言及していません。安倍さんの本心は謝罪したくないのが見え見えで,謝罪したくないとはっきり言ってくれた方がすっきりしたでしょう。子や孫の世代を引き合いに出すのは卑怯だと思います。

 このような中途半端な内容だと野党や中韓から批判されるのは見え見えで,何もわざわざ戦後談話なんて出さなくても良かったのにと思います。もっとも,仮にはっきりと謝罪を明言したら,結局は「そんなの本心じゃない(これまでの発言と矛盾している)」と批判を浴びたわけで,どっちにしても難しいものです。

 さて,戦後談話を出すのは決して総理大臣の特権という訳ではなく,各政党からも出されています↓

Photo
(日経新聞より)

 要するに,戦後談話というのは誰が勝手に出してもOKということなので,誠に僭越ながら,僕自身もちょっと考えてみました。

【かば の 戦後70年談話】

 先の大戦で,我が国が他国の人々に計り知れない損害と苦痛を与えたのは歴史的事実であり,日本人として謙虚に反省し,二度とこのような過ちを犯さないよう,それを選挙の際の投票行動によって示していくのが日本国民の義務であると認識しています。

 もちろん,各地での大空襲や広島・長崎への原爆投下など,我が国自身も多大な被害を被っており,対戦国を許せない感情があることは理解できますが,そもそもこの戦争を仕掛けたのは我が国であり,多くの国民を戦地に送って死ぬことを強制し,沖縄で地上戦を交え,本土決戦まで決意するなど,国民に多大な犠牲を強いたのは時の政府・軍隊です。

 特に,1945年7月に出されたポツダム宣言を速やかに受諾していれば,広島・長崎への原爆投下も満州でのソ連軍参戦も防ぐことができたわけであり,ポツダム宣言を無視してまったく勝ち目のなかった戦争を継続した政府の責任は極めて重大で,赦せるものではありません。

 東京裁判は戦勝国主導によるものであり無効ということを主張する政治家も一部にいますが,これらの政治家は,いわゆるA級戦犯が対戦国に対してだけなく日本国民に対しても多大な犠牲を強いたという事実を認識していないのではないでしょうか。

 具体的な戦力分析も合理的判断もせず,軍隊のトップが声高に叫ぶ精神論によって本土決戦へ突き進もうとした体質が,今の日本社会にも通じているのではないかと危惧します。一例として,一連の東芝の会計処理問題があります。冷静な経営判断を怠った経営トップの恫喝によって会計操作をしてしまうというのは,かつての軍部の体質に通じるものがあります。

 過去の戦争の過ちを教訓として不戦の考えを貫くのは当然ですが,通常の社会生活においても過去の教訓を生かし,一時の感情に流されたり不合理な圧力に屈したりすることなく,自分自身の人生を全うする所存です。

   ・・・なんてね。


【参考掲載】戦後70年 安倍首相談話の全文(日経新聞web版より転載)

 終戦70年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第1次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、1千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みをそろえました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして70年前。日本は、敗戦しました。

 戦後70年にあたり、国内外にたおれたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫(えいごう)の、哀悼の誠をささげます。

 先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱(しゃくねつ)の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜(むこ)の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々のつらい記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

 戦後、600万人を超える引き揚げ者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた3千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、オーストラリアなどの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛をなめ尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後70年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵としてしれつに戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩しゅうを越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り開いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界のさらなる繁栄をけん引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦80年、90年、さらには100年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

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