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2008年10月14日 (火)

外国映画と日本映画

 映画館で上映される外国映画というのは,昔は「字幕スーパー」が当たり前でしたが,最近は低年齢層向け映画を中心に「吹き替え」版の映画が上映されることが多くなったみたいです。もっとも,低年齢層だけでなく,最近は若い人を中心に「吹き替えの方がいい」という人が増えているという話を聞いたことがあります。なんでも,字幕は「読むのが面倒」だとか「疲れる」とかいう理由らしい。

 映画の字幕スーパーというのは非常によくできていて,短時間でもテンポよく読めて,かつ違和感なく映画の中に溶け込めるように工夫されていると感じます。外国映画を見るのに字幕は疲れるので吹き替えの方がいいだなんて,僕にはちょっと理解できませんが,それはともかく,字幕のせいではなく,僕は外国映画って「疲れる」と感じることがたびたびあります。

 たとえば最近BSで見た「再会の時」(1983年アメリカ)という映画。ある男性の自殺をきっかけに学生時代の仲間の男女8人が集まり,昔を懐かしみながら少しの間共同生活をするというストーリー。終わってみると,なかなか渋くて「いい映画」だったと思いますが,この映画を見ていてつらかったのは,同世代の8人もの人間が登場したため,いつまで経っても顔と名前が一致せずにストーリーがなかなか飲み込めなかったこと。登場人物の名前を覚えるのがこれだけ苦痛だった映画というのも珍しいです。いくら字幕があっても,日本人にとってカタカナの人名を覚えるのは容易じゃないということを痛感しました。

 日本人の僕にとって,日本人の人名が覚えやすいというだけでなく,日本語の微妙な言い回しやジョークが理解できたり,日本人にしか理解できない微妙な空気が感じ取れたりするなど,やはり外国映画よりも日本映画を見ている方が断然ラクだし楽しいです。そんなわけで,特に最近は,僕が見る映画は日本映画が8割ぐらいと圧倒的に多いですね。

 映画に限らず,小説も同じ。外国語を翻訳した小説というのは読んでいてホント疲れます。映画と同様に,やはりカタカナの人物名というのは視覚効果の高い漢字表記にはかなわず,なかなか覚えられません。そして,読んだら明らかに翻訳文だとわかるような独特の言い回しがあるとスムーズに読めなくて非常に疲れます。あと,英語ではダッシュ「――」で文章を囲むような表現がよくありますが,日本語表記ではこれはほとんど使われてません。にもかかわらず,翻訳文にそのままダッシュを表記している翻訳者が多いのにはあきれます。僕的には,日本語でのダッシュ表記は絶対許せません。というわけで,外国文学の翻訳は最近滅多に読まなくなりました。

 ところで,今年の7月,第139回芥川賞に中国人の楊逸(ヤン・イー)さん作の「時が滲む朝」が選ばれました。日本語を母語としない外国人の芥川賞受賞は初めてとのことで,画期的です。芥川賞を受賞したということは日本語表現としてはまったく問題ないはずですが,選考委員の一人の石原慎太郎氏は,以前の記者会見で「日本語としてはかなり滑らかだが,まだ妙な表現がないではない」とコメントしていました。本当にそうなのか,中国出身の人の日本語がどんなのか,非常に興味があったので読んでみました・・・続きは明日。

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コメント

韓国ドラマ好きなんですけど、韓国も名前がカタカナなんで覚えにくいです。そもそも女名なのか男名なのかもわかりにくく、その意味では英語より難しいかも。一方台湾のドラマは字幕では漢字で名前が出るのに言葉では「僕はフェーファーを愛してるんだ」「えっ、じゃあ、メイファーのことは遊びだったの?」とか言ってて、混乱を極めます。ちきりんもカタカナ苦手です・・すみません、変なコメントで。ではでは

投稿: ちきりん | 2008年10月15日 (水) 00時52分

 なるほど。名前で男女がぴんと来ない外国語というのは,さらに混乱しますね。
 どうせ翻訳するんだったら,名前も日本名に翻訳してくれたらいいのにね。スミス→佐藤,ジョージ→丈司 みたいに。

投稿: かば | 2008年10月15日 (水) 01時05分

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